気が合う同士が付き合いだして、自然な流れで同棲や結婚に至る━━このパターンは非常に多いし、理想的な形に見える。
しかし、不思議なことに「気が合うはずなのに、一緒に住み始めると衝突が増える」というのも、このタイプに多い現象だ。
外で会っているときはあんなに楽しかったのに、なぜ家の中ではイライラしてしまうのか。それはもしかすると、お互いの「隠しておいたほうがいい部分」まで見えすぎてしまっているからかもしれない。
「たまに会うから」気が合うという真実
「気が合う」という感覚は、実は「限られた時間の中で、お互いの良い部分(または趣味などの共通部分)だけを共有している」から成立していることが多い。
たまに会うデートや食事なら、その時間は相手に集中できるし、多少の嫌なことがあっても我慢できる。お互いに「よそ行き」の顔を無意識に残している状態だといえる。
毎日の接触が暴く「見たくない現実」
ところが、毎日のように顔を合わせる同居生活となると話は別だ。
生活習慣の違い、ふとした瞬間の無神経な言動、だらしない姿━━。 これまで見えていなかった、あるいは見ないふりができていた「相手のノイズ」が、生活というフィルターを通して可視化されてしまう。
気が合うことと、生活のリズムが合うことは全くの別問題だ。ここで「こんなはずじゃなかった」と冷めていく流れは、悲しいかな定番のコースになりつつある。
「隠し事」は優しさのバッファ
ここで提案したいのが、意識的に「隠し事」を持つということだ。 悪い意味での秘密(浮気や借金など)を作るわけではない。「相手に見せなくてもいい自分」は、無理に見せる必要がないという意味だ。
すべてをさらけ出す=誠実ではない
「隠し事がない関係」は誠実に聞こえるが、それは裏を返せば「相手の領域に土足で踏み込む」ことにもなりかねない。
自分ひとりの時にしか見せない顔、パートナーには言わなくてもいい些細な悩み、自分だけの趣味の時間。これらをあえて共有せず、自分の中だけに留めておくことは、精神的な自立を保つ上で非常に重要だ。
「ミステリアス」が維持する関心
また、相手のすべてを知り尽くしてしまうと、人間はどうしても飽きを感じてしまう生き物だ。 「まだ知らない部分がある気がする」という少しのミステリー(謎)があるからこそ、相手への関心や敬意を持続できる側面もある。
まとめ:親しき仲にも「見えない壁」を
気が合う相手だからこそ、「あえて踏み込まない距離感」を大切にしたい。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるが、これは現代のパートナーシップにおいては「適切なプライバシーの確保」と言い換えられるかもしれない。
すべてを共有しようとせず、お互いに少しだけ「隠していること」があるくらいのほうが、実は風通しの良い関係を長く続けられるのではないだろうか。
