SNSを開けば、今日も誰かが怒っている。
政治、芸能、迷惑動画。タイムラインを流れるニュースに対し、攻撃的なコメント(クソリプ)や極端な逆張り意見が飛び交う。多くの人はそれを「不快だ」と感じるはずだ。しかし、不快なのに見るのをやめられない。
実は、この「少数の攻撃的な声」こそが、SNSというシステムを維持するための必要悪として機能しているんです。そして私たちは今、そのシステムが生み出すドーパミン中毒の沼に沈みかけています。
少数派(マイノリティ)が火を焚べる
「なんでそんな酷いことを言うの?」
「この人は何を言っているんだ?」
SNSでバズる投稿には、必ずと言っていいほど「理解不能な攻撃」を仕掛ける少数派が存在する。
彼らの心理は歪んでいるかもしれません。「みんなと違うことを言える自分」に陶酔し、批判されることすら「承認」として受け取っている。
しかし、もっと恐ろしいのは、その少数派に反応してしまう私たち多数派の心理です。
「こいつはおかしい」「主は間違ってないよ」と擁護することで、私たちは結束し、正義感を満たす。1割の悪口が、9割の書き込みを誘発する。プラットフォームからすれば、これほど効率的な「燃料」はない。
アルゴリズムの仕組み
エンゲージメント(コメント、シェア、リアクション)が多い投稿ほど、より多くの人に表示される仕組みになっている。
つまり:
炎上 → エンゲージメント増加 → より多くの人に表示 → さらに炎上
これは「負のスパイラル」を意図的に作り出す設計です。
大人こそがハマる「感情のドーパミン」
よく「子供へのSNSの悪影響」が叫ばれる。自我が未発達な子供が、歪んだ承認欲求に晒される危険性は計り知れない。実害の報告も氷山の一角で、多くの悲鳴はデジタルノイズの海に飲み込まれているのが現状です。
しかし、大人は大丈夫だろうか?
「分別があるからコントロールできる」というのは傲りです。むしろ、自我が固まった大人こそ、自分の信じたいものしか見ない「確証バイアス」に陥りやすい。
ドーパミンの快感メカニズム
ニュースに対するネガティブな意見を見て、「そうだそうだ!」と憤ったり、「許せない!」と義憤に駆られたりする時、脳内では快楽物質であるドーパミンがドバドバと出ています。
怒りや不安は、エンターテインメントとして消費されているのです。これはパチンコやアルコールと同じ、立派な依存症です。
私たちは知らず知らずのうちに「感情ドラッグ」に中毒になっています。
「便利」の果てに、私たちは何を失ったか
人類は高度な知能と技術で、魔法のようなデバイスを作り出しました。世界中の誰とでも繋がり、あらゆる知識にアクセスできる世界。
しかし、その「便利」を維持するために、私たちは感情をハックされ、機械のアルゴリズムに踊らされていないでしょうか?
発展を続けてきた人類ですが、ここに来て**「原始に戻るべき地点」**に立たされているのかもしれません。
問う価値のある質問
- これ以上の情報を、本当に必要としているのか?
- これ以上の繋がりを、本当に望んでいるのか?
- これ以上の刺激を、本当に求めているのか?
答えは、多くの人で「いいえ」ではないでしょうか。
答えは「デジタルデトックス」しかない
SNSのシステムが人の射幸心を煽るようにできている以上、その中で正気を保つのは難しい。
唯一の解決策は、物理的に距離を置くことです。
実践方法
- SNSデトックス: アプリを消す。通知を切る。
- インターネットデトックス: 週末はルーターの電源を抜く。
- 「これ以上を望まない」精神へのシフト: 今ある現実の生活だけで十分だと知ること。
期待できる効果
1週間のデジタルデトックスで、気づくことがあります。
- 1日が長く感じる
- 考える時間が増える
- 他人の意見に左右されなくなる
- 自分の意見が明確になる
これが「本来の思考」なんだと気付く。
まとめ:私たちは、少し賢くなりすぎたのかもしれない
情報の洪水を止め、スマホを置いて、ただの静かな「人」に戻る時間。
今、最も贅沢で、最も必要なのは、そんな原始的な時間なのではないでしょうか。
SNSは便利です。でもその便利さの代償として、私たちは何かを失ってしまったのかもしれません。
それを取り戻すのは、今でも遅くない。