市野イオン(イオンモール浜松市野)に行ったら、ふと「20周年」というポスターが目に留まりました。 「え、もう20年?」 思わず足を止めてしまいました。
そういえば、今の浜松市の形になった「平成の大合併」も20周年くらいだったはず。 いろいろと節目の年なんだなぁと感じつつ、20年前の2005年ってどんな世界だったっけ? と記憶を巡らせてみました。
今回は、市野イオン20周年をきっかけに、当時の浜松と「スマホがなかったあの頃」を振り返ってみます。
2005年の浜松市:市野イオン爆誕と平成の大合併
調べてみると、イオンモール浜松市野(当時はイオン浜松市野ショッピングセンター)の開業日は2005年6月25日でした。 当時の市野エリアといえば、田んぼや畑も多く残るのどかな場所でしたが、この巨大ショッピングモールの登場で景色が一変したのを覚えています。今では週末になると周辺道路が渋滞するほどのメインスポットですが、その歴史もここから始まったんですね。
そして、その直後の2005年7月1日。 浜松市にとって歴史的な一日がありました。周辺の11市町村(浜北市、天竜市、舞阪町、雄踏町、細江町、引佐町、三ヶ日町、春野町、佐久間町、水窪町、龍山村)を編入する**「平成の大合併」**です。
天竜区の山間部から浜名湖の湖畔まで、とてつもなく広い「新・浜松市」が誕生したのがこの年。 私は当時まだ学生でしたが、「住所書くとき長くなるなぁ」とか「天竜も浜松市になるのか」と不思議な感覚になったのを覚えています。 市野イオンのオープンと浜松市の大合併。2005年は浜松にとって激動の年だったと言えるでしょう。
ガラケーとiPodの時代:スマホはまだない
2005年のテクノロジー事情を振り返ると、現代とのギャップに驚かされます。 一番の違いは、なんといっても「スマートフォンがまだない」こと。
iPhoneの初代がアメリカで発表されたのが2007年、日本での発売は2008年です。 つまり、2005年は「ガラケー全盛期」。 ドコモならFOMA(901iシリーズとか)、auならWIN(パケット定額制が普及し始めた頃)を使っていた時代です。
音楽はMDからiPodへ
音楽を聴くスタイルも過渡期でした。 まだMD(ミニディスク)を使っている人もいましたが、この年の9月にAppleから初代iPod nanoが登場。 「ズボンの小さなポケットに入る」というCMが衝撃的で、デジタルオーディオプレーヤーが一気に普及した年でもあります。
サブスクなんて影も形もありません。「TSUTAYAでCDを借りてPCに取り込み、iPodに転送する」という儀式が当たり前でした。
ネットは「Web 2.0」の夜明け
インターネットの世界では「Web 2.0」という言葉が流行語になりました。 ブログブームが到来し、SNSの先駆けである「mixi」が爆発的に普及していた時期です。 LINEのようなチャットツールはなく、連絡手段は「キャリアメール(デコメ)」や「スカイプ」がメイン。 「足あとついたからマイミク申請しなきゃ」なんて文化、今の若者には通じないでしょうね。
20年で世界はどう変わった?
2005年のニュースを見ると、「愛・地球博(愛知万博)」が開催されており、IT業界ではリクルートなどから「R25」が創刊されたり、ライブドアや楽天の球団参入騒動があったりと、活気にあふれていました。 あと、「着うたフル」がダウンロード数記録を作っていたのもこの頃。懐かしい響きです。
こうして振り返ると、この20年間での変化のスピードには目を見張るものがあります。 手のひらに収まるスマホで、4K動画を撮影し、世界中の音楽を聴き、AIと会話する。 2005年の私たちが聞いたら「ドラえもんの世界かよ」と笑うかもしれません。
変わらないものもある
一方で、20年経っても変わらずそこにある「市野イオン」の存在感。 テナントは入れ替わっても、家族連れや学生が集まる地域のハブとしての役割は変わりません。
「10年一昔」と言いますが、20年はその倍。 次の20年後、2045年の浜松はどうなっているのでしょうか。 もしかしたら、スマホすら過去の遺物になって、脳内で直接AIと会話しているかもしれませんね。
そんなSFのような未来を想像しながら、今度市野イオンに行ったら、20周年のポスターをじっくり眺めてみようと思います。