介護ロボットの開発は世界中で共通の重要課題です。 日本は特に少子高齢化が進んでおり、この分野でのイノベーションが待ったなしの状況です。
人海戦術の限界と高コスト構造
現在の介護現場は、基本的に人海戦術です。 1人の要介護者を支えるために、交代制で複数のスタッフが関わります。 例えば、10人の要介護者がいて、朝8時に全員の食事介助を同時に行うとしましょう。極端な話、ほぼ1対1に近い人員が必要になる瞬間もあります。
仮に30人の職員が必要で、日給1万円だとしたら、1日で30万円の人件費がかかる計算です。 このコストは最終的に誰が負担するのか。当然、サービスを受ける利用者(および税金・保険料)です。
こう考えると、介護業界の課題は働き方改革といった精神論よりも、ビジネスモデルとして適正な対価を受け取れる構造になれるかどうかに尽きます。
ロボット導入のコストと対価
もし将来、介護ロボットが当たり前になり、1人に1台のロボットが専属でつく時代が来たとしても、コストの問題は消えません。
高性能な介護ロボットが1台数千万円するとしたら? その減価償却には何年かかるのか。 ロボットの耐用年数は? 定期メンテナンスの費用は?
ロボットになれば安くなるというのは幻想で、初期投資と維持費を回収するためには、結局それ相応の利用料が必要になります。 ロボットによる介護=安価なサービスではなく、高品質で確実なサービスとしての値付けが求められるようになるでしょう。
「温もり」論争の行方
ロボット介護の話になると、必ず出てくるのが人の温もりが大切だという意見です。 確かに、無機質な機械に触れられるより、人の手の方が心地よいかもしれません。
しかし、現実はもっとシビアです。 出生率は下がり続け、平均寿命は伸び続ける。 温もりのある人間を確保すること自体が、物理的に不可能になりつつあります。 ロボットか、人間かを選べるのは今のうちだけで、将来的にはロボットによる介護か、介護なしかという二択になる可能性すらあります。
人とロボットの境界線
そもそも、人とロボットで、提供される機能は何が違うのでしょうか。
排泄の処理、移動の補助、食事の介助。 やるべき業務は変わりません。 もし温もりや会話が必要なら、ロボットに高度なLLM(大規模言語モデル)と人肌に近い素材を実装すればいい。
それでも私たちは、これはロボットだからと一線を引くのでしょうか。 あるいは、介護する側の人間が疲弊しきって虐待が起きるリスクと、感情を持たず淡々と完璧にケアするロボット、どちらが人道的なのか。
技術の進化とともに、私たちの倫理観や介護への定義そのものをアップデートする時期が来ているのかもしれません。