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「一番美味しい」を決めないという自由

「一番美味しい」を決めることは、私にとって"探究と成長を止める合図"のように思える。

ある食べ物を「これが一番」と心に定めてしまえば、同じジャンルの他の味は、もう有象無象に見えてしまう。比べる必要もなく、口にした瞬間に「あれよりは──」と自分の中で完結してしまうからだ。

安定を求める気持ちは理解できる

もちろん、安定を求めてそう決める人の気持ちはよく分かる。お気に入りを選び続けるのは安心だし、裏切られることもない。でも、探究心を手放して、毎回同じものだけを食べ続けるのは、本当に"安定"なのだろうか。

世界には、まだ知らない味が無数にある。もし「一番」を決めてしまえば、その瞬間から、出会うはずだった新しい美味しさを見過ごしてしまうかもしれない。

今日も「一番」を決めずに食べたい

私は、今日も「一番」を決めずに食べたい。その日の気分と出会いの中で、いま目の前の味を"最高"だと思える自分でいたいのだ。

新しい味との出会いは、毎回小さな冒険のようなものだ。予想外の美味しさに驚いたり、期待していたものとは違う味に戸惑ったり。そうした経験の一つ一つが、私の食の世界を広げてくれる。

「一番」を決めないことで、いつでも新しい発見の可能性を残しておける。それが、私にとっての自由なのかもしれない。