道路を走っていて、ふと前の車の走行が気になったんです。その車は、ときどきふらふらと走路からズレてしまう。何度か観察していると、ドライバーが助手席側にかがんで何か探しているようなんだ。その時だけ、走行がふらふらになる。その様子を見ていて、思ったことがあります。
「あ、これって、俺たちが日常でもやってることなんじゃないか」という気づきです。
運転という一つのことに集中することの難しさ
車を運転する時、私たちは意外と「運転しながら他のこともしたい」という欲求に駆られます。助手席にかがむのは、落ちたものを拾いたい、あるいは何かを確認したい、そういった気持ちからなんだと思う。
でも、その瞬間に何が起きるか。前の車のように、走行が不安定になる。
実は、これって私たち全員がどこかで経験していることじゃないでしょうか。
運転中に、スマートフォンの着信が気になって、ちょっと目を向けてしまう。あるいは、横の景色が気になって、ちょっと気が散る。そういった「ちょっと」が、実は大きな集中力の落ち込みを作っているんだと、その車の揺れ動きを見ていて気づかされたんです。
脳が同時に複数のことをこなす限界
ここからは、私が読んだ認知科学の話になるんですが、人間の脳は「本当の意味での同時処理」ができていないんです。
運転と助手席側でかがむ行動を「同時にしている」と感じていても、実は脳の中では以下のようなことが起きている:
- 運転に注意を向ける(視野確保、ハンドル操作)
- 助手席側の作業に注意を向ける(身体を曲げる、目で探す)
- これらを高速で切り替えている
こうした「注意の切り替え」には、実は大きなコストがかかるんだ。その切り替え中に、前方への注意が一瞬ズレる。その一瞬が、走行の乱れになって表れる。
だから、前の車がふらふらと走行するのは、決して不注意な運転手だからではなく、人間の脳の構造上、避けられない現象なんだと思うんです。
運転だけじゃない、日常生活での影響
この話をもっと広げてみると、面白いことに気づく。
仕事中に、メール対応をしながらレポートを書いている。会議中に、スマートフォンをチェックしている。読書をしながら、テレビを見ている。
こういった「複数のことを同時にしている」と感じている行動は、実は同じ仕組みで動いている。注意の切り替えが起きて、それぞれのタスクの質が落ちている。
特に運転のように、安全が関わる行動では、この落ちが目に見えて表れる。でも、パソコン作業だと、その低下が本人に気づきにくいんじゃないか。だからこそ、「自分はマルチタスクできている」と錯覚してしまう。
実は、できていないんだ。ただ、その低下に気づきにくいだけで。
思わず「あるある」と感じた理由
前の車のドライバーを見ていて、私が感じたのは「非難」ではなく、むしろ「ああ、自分もやってるな」という気づきだったんです。
急いでいる時に、助手席から何か取ろうとして、運転がおろそかになったことがある。仕事が詰まっていて、メール対応をしながら他の作業をしていたことがある。そういったことって、誰にでもあるんじゃないか。
だから、その車を見た時に思ったのは「あ、こういうことって、人間の脳の構造からして、自然に起きちゃうことなんだ」という気づきです。
結局のところ
結論としては、別に凄い話ではないんです。「人間はマルチタスクが苦手」。これだけ。
でも、それを知っているのと、知らないのとでは、日常での選択が変わってくると思うんです。
「この瞬間、俺は何かを選ぶ必要がある。完全には両立できないんだ」という意識を持つことで、「今は運転に集中しよう」「今はこのレポートに集中しよう」という判断ができるようになる。
前の車のふらふら走行を見ていて、感じたのはそういう気づきでした。
私たちは、もう少し、「同時にできる」という思い込みから、解放されてもいいんじゃないか。その方が、実は安全で、そして仕事の質も上がるんじゃないか。そんなことを思った、ある日の運転風景でした。