禁煙を始めるなら、一人でやるな。むしろ「禁煙大会」という名目で、みんなで耐久ゲーム化したほうが続く。その理由を説明します。
禁煙は"参加資格が特殊"な競技である
禁煙って、そもそも一度でもたばこを吸った者にしか参加できない、奇妙な競技です。
未経験者はそもそも出場すらできない。ニッチすぎる"閉ざされた競技性"が、逆に物語性を強くします。
個人戦なのに孤独すぎるからこそ「大会化」に意味がある
1人で禁煙すると、誰にも弱音を吐けません。
成功しても拍手がない。失敗しても失敗で終わり。
だったらいっそ競技化して、同士で煽り合い・励まし合い・笑い合いながら進めたほうが続きます。禁断症状という"地獄"すらエンタメの材料にできます。
禁煙大会スクリムの仕組み
禁煙大会はわりと簡単に成立します。必要なのは「参加者」「期間」「ルール」「ご褒美」だけ。
2週間設定が妥当な理由
- 医学的にも最初の山場が2週間前後
- 短すぎず長すぎず、仲間内でも参加しやすい
- ゲームのように"完走者"をたたえる雰囲気が生まれる
ここが重要:「禁煙=精神修行」から「禁煙=耐久イベント」に変換されます。参加者が増えるほどネタが増え、SNSとも相性がいい。
「ご褒美」や「賭け」が大会を競技へと格上げする
人はご褒美があると本気になります。
小さなご褒美(焼肉おごり、ガチャ1回、ゲーム購入権)でも十分。大切なのは「完走したら得する」構造を作ることです。
さらに鬼畜案
2週間完走したら"吸ってもいい"という条件をつけるのはどうだろう。
もう吸う気が無くなっているタイミングで提示される「解禁権」ほど地獄な選択肢はない。ゲーム的には"トゥルーエンド分岐"みたいなもの。
禁煙大会は文化になりえるか?
- 大会前日は"前夜祭"として最後の1本を吸う儀式
- 初日で禁断症状が出て阿鼻叫喚になる
- 3日目で「まだやれんの?」と煽り合い
- 1週間目でシステムメッセージのように「体が楽になってきた」と言い出す
- 2週間完走で称号"禁煙が出来る子"が与えられる
このゲーム的なプログレッションが、人を前に進ませる原動力になるんですね。
なぜ喧嘩になったのか
禁煙大会で喧嘩になるのは、実は良い兆候です。
喧嘩とは「感情が剥き出しになった瞬間」。禁断症状がピークの時に、互いにリアルな悪態をつく。「お前なんで吸ったの?」「いや、お前が煽るからだ」みたいなやり取りは、実は深い信頼関係があるからこそ成立します。
本当に関係が薄い人同士なら、喧嘩ではなく「フェードアウト」するだけです。
逆に喧嘩できる関係=本気で禁煙に向き合ってるメンバーシップの証。
最後に:禁煙は人生イベントをゲーム化しただけで面白くなる
自力でやると地味なのに、大会形式だとドラマが生まれます。
人間って"辛いことをネタにできる環境"があると強い。禁煙大会スクリムは、その原理をそのまま活かした遊び。
社内の健康管理も、恋人との共通目標も、友人グループのイベント化も——すべてが「ゲーム化できるか」という観点で面白くなったり、つまらなくなったりするんじゃないでしょうか。
禁煙大会が喧嘩で終わったなら、それは失敗じゃなく、本気度の表れです。