Jurnal2026/03/29

「◯◯をしないと出られない部屋」を現実のビジネスとして考えてみる

創作でおなじみの「何かをしないと出られない部屋」を現実で実装する場合の、最大のボトルネックと解決策について。

創作の世界では定番の「◯◯をしないと出られない部屋」

もし、これを現実のビジネスとして導入するとしたらどうなるか? 不謹慎かもしれませんが、真面目にそのシステム構成と課題を考えてみました。

結論から言うと、ハード面(コンテナハウスや監視カメラ)の準備は容易です。 しかし、運用における最大の壁は「判定の公平性」に集約されると感じました。

監視員の「慣れ」が崩すシステムの公平性

ビジネスとして成立させるなら、参加者が「条件をクリアした」ことを誰かが認め、鍵を開ける必要があります。 ここで人間を監視員として雇うと、必ず「慣れ」というバイアスが発生します。

始めた当初は手を繋ぐだけで「おおー!」となっていた監視員も、毎日何組も見ていれば、判定基準がどんどん厳しくなるか、逆にルーズになるでしょう。 「これくらいじゃまだ出さないよ」という個人の裁量が入り込めば、サービスとしての公平性は失われてしまいます。

これはテーマパーク的なアピールを不可能にし、顧客の不信感を招く致命的なリスクです。

感情を持たない「論理の門番」としてのAI

この課題を解決するのは、やはり感情や主観を持たないプログラム、つまりAIによる自動判定でしょう。

骨格検知や表情解析を用いて、「規定のアクション(ハグやキスなど)」が実行されたかを論理的に判別する。 AIであれば、1組目だろうが100組目だろうが、同じ基準で淡々と「開錠」のボタンを押してくれます。

もちろん、画像解析をこのような用途に使う倫理的な議論は必要ですが、「公平なルール」を提供するためには、皮肉にも人間性を排除したシステムが理想となるわけです。


結論:何において「人間」を残すべきか

創作のなかでは、監視員の「ドキドキ」や「葛藤」が物語のスパイスになります。 しかし、現実のシステムとして考えたとき、私たちは「感情によるブレ」を何よりも嫌います。

私たちの日常も、案外「AIに判定してもらったほうがマシ」なルールで溢れているのかもしれません。 自分も、感情に任せた判断をしていないか、時々この「監視員」の視点に立って自分を省みたいと思います。